アントニオ猪木
名前 アントニオ猪木
リングネーム アントニオ猪木猪木寛至トーキョー・トムリトル・トーキョー・トムミスター・カジモト
本名 猪木 寛至
ニックネーム 燃える闘魂アントン
身長 190cm
体重 102kg(全盛期は115kg)
死亡日
スポーツ歴 陸上競技
師匠 力道山
トレーナー 力道山豊登道春 豊登カール・ゴッチ
デビュー 1960年9月30日
引退 1998年4月4日
各国語表記 あんとにお いのき
出生地 神奈川県横浜市鶴見区_(横浜市) 鶴見区
没年月日
死没地
出身校
所属政党 スポーツ平和党
アントニオ猪木対モハメド・アリ
アントニオ猪木対モハメド・アリ(アントニオいのきたいモハメド・アリ)は1976年6月26日に行われた、新日本プロレスの企画した「格闘技世界一決定戦」の内の一試合。当時の日本のプロレス界のエースであるアントニオ猪木と、ボクシング世界ヘビー級チャンピオンのモハメド・アリによる世紀の一戦と騒がれた。試合会場は日本武道館。
1975年3月に、当時のボクシング世界チャンピオンだったアリは「100万ドルの賞金を用意するが、東洋人で俺に挑戦する者はいないか?相手はレスラーでも何でもいい」とジョークを言った。アリは「拳でも口でも戦う男」として有名で、当然この発言もアリ独自のリップサービスであることは世間も承知だった。しかし、これに食いついたのが日本のアントニオ猪木であった。猪木は「100万ドルに900万ドルを足して1000万ドル(当時のレートで30億円)の賞金を出す。試合形式はベアナックル(素手)で殴り合い。日時、場所は任せる」といった挑戦状をアリ側に送ったが、マスコミも世界のアリとプロレスラーが戦うなど実現は到底不可能と思っており、当初は冷めた反応だった。しかし、この猪木の挑戦状に反応したアリは6月9日、マレーシアでのジョー・バグナーとの防衛戦前に東京に立ち寄り、会見を開いた。会見でアリは「猪木なんてレスラーは名前すら知らなかったが相手になる。レスリングで勝負してやる」と発言、これにより半信半疑だったマスコミも一気に火がつき、新聞でも大きく取り上げられることとなった。