徳川家康
氏名 徳川家康
時代 戦国時代 (日本) 戦国時代 - 江戸時代前期
生誕 天文 (元号) 天文11年12月26日 (旧暦) 12月26日(1543年1月31日)
死没 元和 (日本) 元和2年4月17日 (旧暦) 4月17日(1616年5月22日)享年75(満73歳没)
改名 竹千代(幼名)→松平元信→元康→家康→徳川家康
別名 通称:次郎三郎尊称:大御所(将軍引退後)、神君(死後)
神号 東照大権現
戒名 東照大権現安国院殿徳蓮社崇譽道和大居士安国院殿徳蓮社崇誉道和大居士
墓所 日光東照宮、大樹寺、高野山
官位 蔵人 蔵人佐(位階 無位)、従五位下、三河国 三河守、京職 左京大夫、従五位上、侍従、正五位下、従四位下、近衛府 右近衛権少将、従四位上、正四位下、近衛府 左近衛権中将、従三位、参議、中納言 権中納言、正三位、従二位、大納言 権大納言、近衛大将 左近衛大将、馬寮 左馬寮御監、正二位、内大臣、従一位、右大臣、征夷大将軍、太政大臣、贈位 贈正一位
徳川家康の影武者説
徳川家康の影武者説(とくがわいえやすのかげむしゃせつ)、または別人説について。
徳川家康は江戸時代を通じて神君とされていたため、その出自を疑う者はいなかった。しかし明治35年(1902年)4月、徳富蘇峰が経営する民友社から、『史疑徳川家康事蹟』と題する一冊の史書が出版されたことにより、家康の出自が疑われるようになる。著者は村岡素一郎と言い、時の内閣修史編修官兼東京帝国大学教授・重野安繹文学博士がこの著書の序文に協力している。定価は25銭で、最初は500部が出版されたが、これは重版されなかった。一説に、その著書の内容に憤激した徳川氏(公爵家)や旧徳川氏の幕臣連中が、民友社に圧力をかけたためと言われている。しかし戦後の昭和30年代、作家の南條範夫がこの著書を基にして『願人坊主家康』、『三百年のベール』という著書を出した。その後、八切止夫が『徳川家康は二人だった』、隆慶一郎が『影武者徳川家康』を出す。さらに村岡の外孫に当たる榛葉英治が、『史疑徳川家康』を出版する。